昨日の上野は桜の見頃だった。不忍池に映る夜景も揺れぬほど風がなく薄着でも寒さを感じなかった。夜桜の下は相変わらず奇妙な光景が繰り広げられている。酒で顔を真っ赤にした若者が「皆様と心中させていただきます!何卒…!」などと恐ろしい単語を並べて自己紹介したり、スーツ姿のサラリーマンが十数人集まって胴上げをはじめたり、濡れたカラスのように黒光りしたシルクハットとコートを風になびかせた鉤鼻の男とすれ違いざま目が合ったりした。
昔からいうように、桜の木の下には沢山の死体が埋まっているんだ。ついに地下に充満し行き場をなくしたエネルギーは、この期に及んで地上方向に対し一斉に開かざるを得ない。尤も地下鉄が整備されてからの、そうしたエネルギー事情は不明だが。
*
私「あなたは合理性のあるイーブイで、私は合理性を欠いたイーブイとするでしょう」
私「そうか…小児科は…」
後輩「最近は妖怪ウォッチも人気があります。鉄板はアンパンマン」
私「『ピカチュウ君』は既に古典的な名前なのね?」
後輩「そうですね…ジバニャンは見たことないですが」
私「生まれた子供を地縛霊にしたくはない…」
後輩「ニャン、とか」
私「……例えば。国会議員が全員ピカチュウで、ピカチュウであることが自明すぎるから、(ピカチュウ)と括弧でくくって、そのうち乗算記号のように省略されて、いまのかたちになっているとしたら」
後輩「…人間とはわざわざ呼ばないように、安倍(ピカチュウ)総理。となるのでしょうか。」
私「そう。ピカチュウであることは自明すぎるから、皆省略している」
後輩「前提がピカチュウというわけですね…かわいい」
私「かわいいでしょう」
*
後輩「…あの怪しい看板は何でしょうか」
私「わたしもさっきから気になっていたけれど、口に出すべきか迷っていた」
上野広小路付近のビルの最上階に、男性二人が抱き合っている(ように見える)イラストが大きく掲げられている。
後輩「ここからでは、読めないです…」
私「…憶測するに、HIV啓発の、件では」
後輩は看板のあるビルの前まで何のためらいもなく歩くので、ついていかざるを得ない気がした。
二人でビルを見上げる。
後輩「…やはり」
私「ああ…」
後輩「遠目からでは全ての文字を確認することが出来なかった…」
後輩は日本語だけでなくその下に赤字で書かれた英文まで全文確認した、よう、だった。
私「たったそれだけのために、ここまで来ちゃったの?」
後輩「そうです」
私「バカじゃないの!?」
後輩「……」
私「嘘、これは自分に向けて言ったの。ごめん。まさか私があなたにバカなどと」
後輩「…悪い気はしないです」
*
目の前の若い4人の女性が酔っぱらって抱き合っている。ホームレスの人達が楽しそうに談笑している。
私「ああ、ひたすら酔っぱらいてえ。ポテトサラダ食いてえ」
後輩「食いますか」
私「49対51で食いてえ。でも終電が。あなたの風邪が。」
後輩「鼻水以外は大丈夫です。どうせ昨日も飲んだし明日も飲むし」
私「忙しい」
後輩「風邪をひく予定ではなかったんですよ」
私「いや、そこは断ろうよ…。意味わからん」
後輩「あのホテルの名前だって、かなり意味わからないですよ。プリンセスⅠ世」
私「まじだ。私の存在くらい意味わからない。どうしよう」
後輩「どうしたいですか」
私「ポテトサラダが食いてえ」
後輩「食いますか」
私「今ポテトサラダが劣勢なんだよ。いっそのこと誰かに決めてほしい。例の『精神分析』みたいなやり方で『君はウイスキー飲んでポテトサラダを食うと良いでしょう』みたいな」
後輩「うーん。主観が入るから…個人的に、そういう曖昧なことには耐えられないです」
私「物理的な話に例えようか。私の中にオセロの盤面があってね、私が白軍と黒軍に分裂して戦ってるわけ。今、盤面の白と黒の量を天秤にかけたときほとんど僅差で釣り合いそうなんだけど、だからこそ安定していない。いっそどちらかに振り切ってしまったほうが…」
後輩「…安定した状態にはなりますね。戦だったら、どちらかが圧勝したほうが結果の出るのは早い、という」
私「だから物理に憧れて。力学とかさ。流体力学とか航空力学とか。飛べるじゃん」
後輩「力学を学ぶなら、量子力学は避けて通れなくて…」
私「f**k」
こういうのを「『場』が進まない」と形容するらしい。何かに対しての決断ができると、場が「進む」。場を進めるためには何かを「決めつけて」いかねばならない。よりによって通りの真ん中で、場が止まっている。危険すぎる。
私「曖昧の定義が曖昧で」
後輩「前提が物理と文学では全然違っていて。医学的にはQOLも数値化できて」
私「スケール感がわからないけど私の中のアンケートではQOLの自己評価はマイナスだよ。場が進まないから。もう帰るわ、今日ありがとう。桜良かった。お大事に。形見の良い時計も大事に」
後輩「…他人から見たら違うかもしれないんですよ。また、気が向いたら」
不意に通りが喧しくなる。私たちは順に救急車2台と消防車1台を横目で見送って、解散した。