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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

気分の記録

手記>闘病記
  • 随分と過去の手記(紙)を開いた。断片的で収集のつかない言葉が羅列されていた。文章を書いたつもりだったが、文章とは言えないだろう。言葉を並べただけだ。そこには何か一貫性が抜けていて「刹那的」だった。
  • 刹那的文章しか書けなかった頃、人と雑談をすることは最難関の課題だった。
  • 周囲は流暢な日本語で「おしゃべり」を楽しんでいる。論理を無視した言葉のやりとりのなかに、なにか一貫性があって、共有された感情と時間がある。それがおしゃべりだと思った。
  • 私にはそれができない。誰かの言い回しを真似て、うわべの言葉で取り繕って、なんとか社会と繋がっていたかった。そんな言葉は中身がからっぽだった。伝えたいことが言葉で表現できない。いつも、あと少し言葉が届かない。語彙は足りているはずなのに、伝えたいことが言葉にならない。目の前のこと、感じていることを言葉にしようとした途端、現象と言葉の間に、すきまが生まれてしまう。なぜ皆は、すきまを作ることなく会話を成立させられるのだろう?
  • 他者が、密度のある存在感が、恐怖の対象になった。それらを見ると、触れると、私自身が崩壊してしまいそうだった。自分の存在の希薄さが、辛かった。なるべく他者を回避するようにして、私は己の存在を保った。自分の中に沸き上がる、他者への攻撃性を自覚して、自己嫌悪に陥った。私は他者への羨望と嫌悪の自己矛盾のなかにいた。
  • 大学4年間、私は何もしていなかった。それと同時に、何かをしていた。これも矛盾した表現になる。授業にも出席していたし、生活もしていたが、私の中には何も積み重ならなかった。単なる事象の断片が、物理的な時間とともに通り過ぎた。行動の結果が論文や卒業証書や内々定として手もとに残った。
  • 現象こそ見えていたが何も感じなかった。ただ、時が経つのを耐えていた。地に足の着いていない気分だった。底の抜けた平面に立っていたようだった。