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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

『ショーシャンクの空に』(原作:『刑務所のリタ・ヘイワース(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』)

映画
あらすじ

刑務所内の人間関係を通して、冤罪によって投獄された有能な銀行員が腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず、生き抜いていくヒューマン・ドラマ(Wikipediaより ショーシャンクの空に - Wikipedia

ショーシャンクの空に - 作品 - Yahoo!映画

主人公デュフレーンは、若くして銀行頭取を務めるが、妻とその愛人を殺したという冤罪でショーシャンク刑務所にブチ込まれる。刑務所は組織的に腐っていた。彼は金融の知識を買われ、汚職目的によしなに使われる。自由を求め、脱獄を計画したデュフレーン。最後まで自由への希望を捨てず、ついには自由を手に入れた。

デュフレーンの為人がよく表れているセリフ “音楽と希望は、刑務所にも奪えないもの”。

それらは、自分の中に持ち続けることができ、誰によっても奪うことのできないものだ。彼は、心の中でモーツァルトのレコードをかけていた。

ちなみに、リタ・ヘイワースは、1940年代にセックスシンボルとして一世を風靡した女優らしい。デュフレーンが、独房のオアシスとしてポスターを貼っていた。刑務所で初めて友人となった、“調達屋”レッドからプレゼントされたものだ。

ポスターをめくると、壁には大人1人がやっと通れるほどの穴。それは希望あふれる外の世界へと続く。デュフレーンが、聖書に収まるほどの小さな鉱物採取用のロックハンマーで地道に掘ったものである。女、穴、希望。なんだか最高だ。

レッド役のモーガン・フリーマンが、とてもかっこよかった。表情や雰囲気になんともいえない味があり、台詞に深みを感じた。

人には大きくわけて刑務所向きとシャバ向きの二種類があるように思う。

それらを分けるのは、自由を持て余すのか、自由に生きられるかだ。前者は自由を恐れ、後者は自由を愛せる。カゴの中でしか生きられないのか、カゴの外でこそ生きるのか。これはだいぶ大きな違いだ。まぁそれは本編に直接的には関係ないのだが、自由に生きるという資質は、組織と時間によっていくらでも潰せるということが描かれているのは確かだ。


この映画において、特にスポットを当てたテーマはこんな感じだろう。 

終身刑服役後、外に出る頃には、すっかりシャバで生活できない人間になっている。であれば「更生」とは何なのか。

仮出所の許可がでなければ「残念賞」、ところが、許可がでる頃には、外に出ることが「残念賞」。その人生の生きる希望とは何なのか。

 

本編では、刑務所とシャバの世界が対比的に描かれる。

刑務所は、組織として一つの閉じた世界を形成している。シャバというすべて自己責任のもとに自由を享受できる社会に対し、刑務所では制限された自由と引き換えに一定水準の生活が保障されている。

刑務所を取り囲む高い塀が、二つの世界の深い断絶を象徴する。”最初は憎み、次第に慣れ、長い月日の間に頼るようになる。”それが刑務所の塀だという。

希望は、いいものだ。そう思った。すり減らさないように、奪われないように、大切に自分のなかに持ちつづけたい。

危険なのは、希望が刑務所の中にとらわれている場合…?*1でもそれはある意味、社会に適合してて幸福ってことかもしれない。下手にそこから脱却すると精神病院の閉鎖病棟が待ってそうだから、本人が困ってなければいいのだろう

*1:「刑務所」を聖書あるいは、会社名など、既存の枠組みに置き換えてみる