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猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

踊る海老の件

概要

飲み会等で雑談を強要された際の話題選び失敗の反省として、「あれはさすがにグロくてTPOにそぐわなかった」という経験談

* 

 日本には踊り食いという文化があります。こないだエビの踊り食いをしたんです。 神田の、海鮮居酒屋みたいなところで。

刺身の盛り合わせのなかに車エビが動いていました。ゆっくりとではありますが足を屈伸したり触覚や尾をもぞもぞと動かしたり。 

我々は動いているものに目がいくようにできているらしい。それでしばらく観察していました。そのうちだんだん憐れみの感情がわいてきて「ご臨終後に食べよう。早う、くたばれ」と思いました。

しかし10分たっても様子が変わりません。「ならば、なるべく新鮮なうちにいただくのが善」ということで、いただきました。

とまあだいたいこんな話をしました。新鮮さが違いました、とても美味しかった、と。

 

 * 

 

語りたいものが私から溢れ出てしまうので、具体的に記載させてください。

 

生きたエビ(食前)

車エビの腹部の殻は除かれ、そのままかぶりつけば良いようになっています。エビは生きているので、箸でつまみ上げると動きます。醤油につけたら大人しくなるかなと思ってしばらく浸してみたのですが、甲斐なく元気に動き続けています。


神様、仏様、イエス様、空飛ぶスパゲッティモンスター様。南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏。アーメン。ラーメン。森羅万象に祈りました。

 

生きたエビ(食中)

その後の私は山月記の虎のようでした。 我を忘れ、右手にエビの頭部、左手に尾部を持ちつやつやでプリップリの腹にかぶりつきました。断末魔のエビ反りを噛みちぎると、勢いよく尾節がうねり尾扇がぱっと開き、左手にブルっと大きな振動がきました。歩脚はもがくように動き続け触角は宙を弄りました。

 

エビ(食後)

これ以上ないほど新鮮でジューシーなエビを堪能し後には腹部のみきれいに失った残骸が残りました。 

ここで我に返りました。

エビはまだ、頭部も尾も動き続けています。気分を害されたら申し訳ないのですが「ラザロ徴候に似てる」と思いました。まあ、この例だと脳はまだ生きてるんだけど。いまや脳につながっていない尾まで元気に動いている。そして神経系が死ぬまで身体は動き続けるのです。自発的に動かなくなってからも、箸で刺激を与えてやるとしばらくは動く。 

「できるなら轢死は避けたいな」と思いました。万が一、自分の右手がとれてしまったら――そのとれた手はしばらく痙攣したりして、刺激を与れば動き続けるのです。とれた右手は私の意志ではない何らかの力で動いています。とても不思議です。

 

エビ(うまい)

こう考えている一方で、新鮮な食材は非常にうまいのです。火を通していないためタンパク質も変性してないのでしょう。ピチピチ。一口では食べきれないので2回にわけて食べました。その間ずっと尾やら脚やらが動いています。

エビは、「痛い」とでも言わんばかりに手の中で暴れつづけます。それこそが新鮮さの裏付けに見えてきた私は「もっと暴れろ、私が食べ終わるまでずっと暴れていろ」と、脚をひとつひとつ丁寧にもぎ取って内臓まできれいにいただきました。

 

以来私は、生きたエビを食することが好きになりました。断末魔のエビ反りを噛みちぎるときや解体するときの、あの力強いエビの反射運動と痙攣が、生命の躍動を私に伝えます。またエビの踊り食いが出来たらと妄想すると、興奮してきます。 誰か一緒に踊り食いしにいきませんか。そうですか。