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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

他人の私事にかんして

手記>TOKYO

学生の頃、短期間で稼げるという理由で、キャンペーンガールのアルバイトをしていたことがある。

といっても、最初からキャンギャルと知って応募したわけではない。学生寮の共有ホワイトボードに「高時給アルバイトあります!詳しくは○○まで」と書いてあったので、話を聞きにいって初めて知った。

それはモーターショーなどの大掛かりなものではなく、基本的には派遣された街頭に、メーカーの名前を背負って立っているだけの体力仕事である。
立ち仕事ではあるが基本的に土日祝日のみ出勤でOK、就職活動中に非常に適したアルバイトだと思った。

業務中は、遠くから見て目立つ派手な制服を身に纏う。 

冬場はとてつもなく寒い。馬鹿げたことに、貼るカイロを体中に貼ってまでミニスカートを履いて、脚を街頭にさらすのである。 

女性のセクシーさは、広告でいう「アイキャッチ」としても功を奏するらしい。と、そのとき知った。正確には、キャンペーンガールの存在そのものが、「性的なもの」だと私は思った。

 

 

結婚式にお呼ばれする機会が増え、ドレスアップの回数も増えた。どこか間違って盛りすぎているのか、「キャバ嬢」「ホステス」などと形容されることも多くなってきた。

冠婚葬祭において、従姉妹がそう呼ばれていたのを思い出す。姉のほうは「銀座にいそう」、妹は「歌舞伎町にいそう」と、親戚同士で笑っていた。 確かに、色白に黒いドレスやワンピースを纏った彼女たちからは何ともいえない貫禄が漂う。慣れた手つきで片手3本ずつビール瓶を持ち、挨拶がてら式場のテーブルに酒をついでまわっている様子は、それが葬式の場であっても確かにホステスのようだった。

 

必然だったのだろう、私が「キャバ嬢」やら「ホステス」の形容を受け継いだのは。 最初は物珍しくて素直に受け取っていたものの、いつからかその響きに謎の嫌悪感を感じはじめた。だが、自分が何に対してそこまで憤っているのかわからなかった。 

 

一時期、「女子高生のなりたい職業No.1」にキャバ嬢があがったような記憶がある。名誉な形容なのかもしれない。一方私は、キャバ嬢や、メイドやナースなどを筆頭とするコスプレなどは、広義の性用品(いや、狭義か)だと感じている。 

何なら2次元の世界も一部それに含まれると思う(あくまで私は)。ナウシカの胸はでかいし、エヴァのプラグスーツはピチピチだし、風立ちぬの菜穂子さんはいい人すぎだし。私もアニメやマンガは好きであり、それらの使命のひとつは理想を描ききることだとさえ考えているし、批判しようとは微塵も思っていないのだが、これだけは述べておく。

 

これらは、存在そのものが性的なのだ。
物語に性的描写が一切入っていなくても。 お話するだけで、触れることのできないキャバクラ嬢も。

 

こう断言してしまうと、色々反論が出るだろう。私もコスプレ自体は好きで、違う自分になれるのは面白いし、わくわくする。自分のためのコスプレであれば、それは正しい自己表現だと思う。

しかし、「存在そのものが性的」なコスプレは、所詮はダッチワイフの一形態に過ぎないのではないか。いくらダッチワイフが服を着ていても、セクシーなものはセクシーである。メイドコスプレやら、流行の「戦国武将の女性キャラ化」などに関しては、未熟な男女が互いに投影しあう性的イメージのようにも見える(まだまだ恋に恋してるというか)。そういうのは、個人の性癖に直結した嗜好品だ。 

すべての欲は私物だと思う。食欲然り、睡眠欲然り。

満員電車の中で香りの強い物を食べている人や、爆睡して何度も寄りかかってくる人に、何となくイラっとすることがあるとしたら、それは「他人の私事」だからではないだろうか。

他人の私事の対象にされることに、さらに言えば消費の対象にされることに、私は憤りを感じているのだと、思った。