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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

気分の記録

手記>闘病記 医学>精神医学

自己意識を取り戻したところで、心に空いた空洞はそう簡単には埋まらないものである。いま尚懸命に穴を埋めている最中だ。埋めるのが正しいかどうかの判別は私にはつかない。穴を開けたままにしておくことで「それを持たざる人とは異なる何か」ができる可能性もないことはなかろう。


さて、ふつうの生活を送っていても(例えが不謹慎で申し訳ないが)先日の土砂災害のように、心のなかで予想外の土砂崩れが起きて色々なものが水没したり流されたり、長期間の避難が必要になることもままある。
それにしても、物理的な問題として、目の前で家族、家など大切なものが濁流に流された後の喪失感は如何程のものか。「そこにある場所のものが、いつも通りそこにある」という安心感は、人間的な繋がりはもちろんのこと、心の奥底における安定に不可欠なものではないのかと感じる。己が生きていた痕跡や絆を、一瞬のうちに無に帰す自然の力ははかりしれない。
 
私は誰かに、己の中に築いた城を肯定してもらわねば生きられない程脆い人間だ。
おそらく、その対象は特に母親に向けられていた。しかし思春期頃から、母親に求めるべき「己をまるごと呑み込むような」愛情を、なぜか男性に求めるようになった。権威によって身を守ろうとしたのだろうか。
安易に自殺するより前に、何らかの手段で私の動揺を知ってもらえたら、似た境遇の一人が命を落とさなくて済むのだろうか。
一方で、心から死にたいのなら静かに寄り添ってあげられたらいいなと思う。
生まれはそもそも不条理である(哲学的には)から、己の死を己が決定することも否定してはならない気がしている。