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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

他者云々 前提その3

文科>西洋哲学

現象学(戦略)

おさらい

「主観VS客観」戦:認識の完全性の問題ではない。「主観と客観の一致」を求めるほど、極端な決定論に陥る。かといって「個々の主観のみが存在してる」ことにすれば、世界の秩序や共通感覚の説明ができない。という困った話。

↓ 

フッサール先生「問いかたを変えたらどうでしょう。

『なぜ人間は、主観の中に閉じ込められているのに、世界とか事物とか他者とかを、疑えないものとして確信しているか』

とりあえず客観については一旦置いときましょう。」

 結果的に、現象学によって二元論は一旦解消されたようだ。

 それまで世界の実在性はさておき「いかに外部の世界を正確に知覚するか、認識するか」に終始してたから困ってたわけなので、

→カント先生「形式(理性のはたらき)は自発的作用。これをSubjectと名付けよう。ようは主体は意識的」 

→ヒュームさんやヘーゲルさん「それなら意識にあらわれる世界だけを扱えばいい」観念論が体系化される

 →観念論を徹底したのが現象学 

フッサール先生「だ・か・ら、主観と客観の一致を確かめることは不可能ですよね。それなら、主観の内部で成立している確信の条件を確かめたほうがいいのでは…?」

「客観の存在は確かめようがない」というのは、感覚を通して得た外界からの刺激を、脳内かどこかで再構成して、それを私たちが「現実」と呼んでるから。

全ては意識の中で起きている出来事かもしれないんだけど、「意識の外に世界があると素朴に信じ」て生活してても特に問題ない。

※人によっては、謎の赤い虫の大群が見えたり変な声が聞こえてきたりして、それを素朴に信じるのが難しいこともある。でもそれは例外的だし現象学の逆をいっちゃう気がするんで一旦エポケー。

 

現象学の方法をざっくり

問い:外部世界があるという確信の成立条件

方法:一切を「(独我論的)主観」で説明する。内側で完結できれば勝ち。

  「私たちは、主観のなかに疑い得ないものを見出し、それを他の人間と共有せざるを得ない」構造になっていることにする。=知覚の不可疑性。

人間は主観内部に知覚、想起、記憶など複数の意識表象を持つ。意識にあらわれたものは、内在としての絶対性を認める。具体的なモノも概念も、その絶対性を認める。

ただし、知覚だけは異質。

知覚によるものは、つねに、意識の自由にならない。目の前のチョコレートは意識の力のみで移動できるものではない。身体(物理的な力)が必要だ。

 

身体的に遠ざからないと、食べちゃうんだ……もうだめだ……。

超越論的還元についてはまた今度。

 連休中の運転は疲れました。目の前の渋滞は意識の力で消せないもんな。目を瞑って運転とかしたら死ぬよな。 

 

つづく(ように何とかする)。