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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

他者云々ー「意味」はどこから来るのか

文科>西洋哲学

「他者」了解の起点にアプローチする方法の見直し

 

  1. フッサールの他我論の難点は、「知覚直観」を「他」の了解の起点に据えたこと。
  2. それなら、内省から見出せる「情動的所与」へアプローチしたほうが、本質に近づけるのか?
  3. 観念論哲学において経験成立を担う「意識」と、「情動的所与」には、実は関係性があるのか?

※やべ、情動的所与のこと忘れてた!

 

どうやって問いを立てるのがいいのか。

却って、知覚直観について問い直してみよう(うう、己の知性の限界が見える…)

 

仮定:メルロ=ポンティの「身体が受け取る意味」を了解し得なくなった場合(症例?)
※経験の意味を了解できない=「経験が成立していない」とする。

 

予想:
  • 意味の他にも了解し得なくなるものがある
  • →知覚機能の一部は抽出可能
  • →知覚へのネガティブなアプローチとして、他我論の難点の考察に使えるかも?

(異論歓迎) 

 

我ながら行く末が不安ですが、

・カントの「超越論的構想力」や「統覚」のような、全ての現象を貫く「それなしにはそもそも経験が成立しないような意識」について

・「私」「情動的所与」の連関に着目しつつ

他我論の難点を自分なりに問い直してみたい

 

理性がけっこう限界なので

つづきはまた今度…

 

予定

・「私」の定義

・自己意識と共通感覚について