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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

メモ/青少年における殺人とその環境

閲覧注意

凶悪事件の低年齢化が叫ばれて久しいものです。今更ながら青少年犯罪に関して掘り起こす必要が出てきたのは、現在の私の精神状態にそれらが関与している可能性がありそうだからです。

 

とりわけ興味深いのは神戸小学生殺傷事件の少年の供述でした。

今もなお(例の出版問題もありましたが)様々な論文より参照可能な「犯行声明文」からして、14歳で「あの境地」に至っている……仮に同性愛的小児性愛や苛虐性愛、死体愛、死体苛虐愛…これらがほんとうのことであるとすれば、少年の理性を欠いた知能(と呼ぶべきかわからない何か)は相当なレベルに達していたとしてもおかしくはないように思います。

対して母校での殺傷事件は、生徒側が語彙不足の補償として暴力(腕力や脚力)という手段を用いたもので、どちらかといえば犯行者の精神的な問題というより、地域の教育レベルの低さや、学校側の対応等の問題として区分することが妥当かと思います。

 

比喩的に「文化のない」ところでは、医師や牧師に関わらず「先生」も聖職者ではないのでしょうか。不幸なことに、私の地元では「食うために先生」をしている先生ばかりでした。「教員に誇りをもって食べて行く」のではなく「食っていく手段がないから教員」です。

 

 

私はいっとき、感情(憐れみというべきか、他者に対する思いやりのようなもの)を持っていなかった。「感情がない」と言い切るのもどうかと思いますが、慈しむべき「子ども」や「動物」を愛でる気持ちが欠けていました。

周囲の友人が子どもを見て「かわいい」と発話するのは「かわいいと言っている自分は安全な存在であることを示すため」に行う社会的なルールなのだと思っていました。

 

 

高校進学後「人体の不思議展」という(違法であろう)人間のプラストミック標本に興味を持ったので見に行きました。どこが何の機能を果たす部分なのか医学的にはどのように解剖していくものかなど、情報もなくよくわかりませんでしたがいわば沢山の検体が陳列されていました。

 

少しして、「生物」の授業で解剖の授業がありました。対象は豚の眼。「カエル一匹まるごと」などと比べれば見る部分は断然少ない。畜産業の盛んな地域なので、処分された動物たちの遺物を有効活用しようとその選択になったのでしょう。

発泡スチロールのパックにつめられたたくさんの目と、それを覆うサランラップを外して生物の先生は言いました。

「白目と黒目の間に柄付き針を刺し、そこからハサミを入れおのおのを分離し、虹彩、角膜、水晶体、ガラス体、白目の内側の色、視神経を分解して観察してみましょう」

暗室のように黒い白目の裏側に、網膜と小さく白い視神経の節が見えました。網膜はうまく剥離できませんでしたが、ガラス体も水晶体もかなり透明度が高く美しかった。楽しかった。もう少し複雑なものを解剖してみたくなりました。

自分のなかに道徳的な規範(建前)がなければ、近くにいる動物を興味から解剖していたかもしれません。

 

周囲の行動を詳しく観察し真似ること。それが大切でした。

サンプル数は少なかったのですが、都会に行けばサンプル数が増えるはずだと信じて「心のある」ように見えるパターンをたくさん覚えようと思いました。