猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

リガク畑でつかまえて その3ー「エントロピー増大則」はどこまで適用できるか

哲学という学問の対象が「全体」とすると、科学という学問の対象は「部分」 

私の父は理学系の研究に携わっていたことも影響してか、科学至上主義で生活していたように思います。 
「科学者たるもの、一定の問題に関しては徹底的な知識を持たねば話にならぬ。だが己の通暁していない分野に言及するのは言語道断である。わからないことはわからないと正直に述べよ」
…だいたいこんな環境で私は育ちました。ざっくりいえば「哲学は何でも対象にしていいけど、科学はその分野毎に対象にできる範囲が定まる」ということです。
  さて、近年『生物と無生物のあいだ福岡伸一)』でいっそう有名になった「動的平衡」という概念があります。リケジョモデルの山本美月さん(農学部生命科学科)が読んでたからかな

動的平衡(どうてきへいこう、英語:dynamic equilibrium)とは、物理学化学などにおいて、互いに逆向きの過程が同じ速度で進行することにより、全体としては時間変化せず平衡に達している状態 (Wikipedia先生より)

 私はリケジョ基礎知識が不足しているため正確な理解には至れないですが、きっとこれは、厳密には物理・化学の一部のかなり限定された場面に用いる言葉なんだろう。それ以外の分野には、便宜的というか例え話的に用いるのかもしれません。

  • 預金でたとえると:入金した分出費があれば預金額は変化しない
  • 人口でたとえると:出生率と死亡率が同じ場合、人数自体は変化しない 

個人的には、生命の形容に「動的平衡」を用いたのが革新的だったのではないかと思います。しかもこの概念は(先日、スピノザ氏とデカルト氏に出ばなを挫かれた)シュレーディンガーおじさんの『生命とは何か』で予測されていた…!というのが判明しました。

熱力学では、「エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)」があるそうですね。この法則は、かなり理論的です。例えば

  • 「100度の湯と0度の水を一気に接触させると、両者は最終的に50度になる」 

文科系としては、「でも地球上にはその湯とか水の周囲に空気があり、気候もあり、地形もあり、気温やら器やら体温やらの影響があり、湯は冷め、水はぬるくなっていくような…」と妄想が膨らんでしまうのですが、つまるところエントロピー=「混合度合い」の物差し、らしい。あるいは「乱雑さ、混沌の度合い」と言ってもいいかもしれません。

 個人的には日常会話に浸透していて、「部屋のエントロピーが増大してて…」とか使います(伝わっているかは不明です)。この場合、エントロピーが最大になると「ごみ屋敷」としてテレビで特集されるレベルなのかなと思っています。本人はゴミに圧縮されて家から出てこれないというオチつきで。

エントロピーが最大になると、「平衡」状態になります。生物における「平衡」状態は「自力で動くことのできない死んだ物質の塊」です。

エントロピー最大=「死」です。非常にあっけらかんとしていますが、「死」の定義がはっきりしました。そして例の予言「全ての物理現象に起こるエントロピー増大則に抗して、秩序を維持できることが生命の特質」。これはエントロピーを生物に適用したらシンプルに表現できた、ナイス偉業…ですが、そうは文科系が(?)卸しません。冒頭では倫理的なこと言ってたじゃない。。

…というわけで「生命をどこまで物理的に扱えるか」が(私のなかで)課題です。知ってたら教えてください。あーあと「○○系」の定義付けも課題ですよね。。閉じてるとか開いてるとか…

 

 どうでもいいんですけど混沌=カオスと言っちゃうのは語弊があって、「部屋がカオス」という状態を真面目に考えるとけっこうやばい。と勝手に思ってます。カオス理論(あれ、これ哲学だよね?)に「ロジスティック写像」という方程式があります。一見シンプルな漸化式です。

x_{n+1} = a x_n (1-x_n)

 これ、aに代入する値によって、グラフがえらいことになるんです。周期的な軌道を描いたり非周期的な軌道を描いたり一つの値に収束したりする不思議。分岐図 (力学系) - Wikipedia

哲学科には、「部屋がカオス」≒「一見乱雑に見えるが、aに色々な「人」を代入してみると一定の秩序を示すときがある(なにこの汚部屋…解析してくとわかるかも…)」という形容詞がありました。
 
……いや、ないわ。