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猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

時間について(3)時計と観測者

だが物理学的時間は不可逆性を持つ

 前回、時刻と時刻の間が「時間」で、それは前後対称的な単位だと述べましたが、誤解を生みそうな表現なので、補足をしたいと思います。

 前後対称的なのは、計測した量(1秒とか1分とか)の均質性です。「観測者が時計を見た」場合、時間に不可逆性が加わります。ですから、観測された時間は「過去」「未来」というように前後非対称になります。

物理法則は観測者に関わらず可逆的

<例>

仮説:物理法則は時間の不可逆性に関与しない

実験:現象を撮影して逆再生する

  • バウンドさせたバスケットボールを、静止するまで動画に収める
  • それを逆再生させる

結果:

  • ディスプレー上では、時間が逆方向に進む
  • ボールの運動を求める方程式自体は変える必要がない

結論:現象における物理法則は可逆的にできている

 ですから、ガリレオさんたちのように「振り子の反復運動」や「天体運動の周期」だけを観測対象にするならば、時間を周期的なもの(進んだり戻ったりできるもの)として扱うのが合理的なところでしょう。

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水中に広がるインクは元に戻らない

 しかし観測者には、「バウンドの逆再生を見ている間に、撮影した分と同じ量以上の時間」がさらに加算されます。観測者の時間は戻ってはきません…普通に生きてれば。時間は不可逆です。

 さらに興味深いことに、物理学には「エントロピー増大則」があります。

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「水中に広がるインクは戻らない」というたとえがあるように、これは物理的に規定された時間の不可逆性を示していると換言してもよさそうです。すると、やはり物理的時間も、非対称(不可逆)です。なので、時計が刻々と示すものは、一定量の定義であり、時計は「観測者に量の定義をどんどん出力してくれる機械」とも言えると思います。 

観測者が「等質な量を示し続ける時計に、不可逆的な何かを見た」としたら

 同じことが、エントロピー増大則にも言えることでしょう。観測者が、観測結果に見た不可逆性。それは「純粋な」不可逆性ではなく観測者の性質を反映した結果であり、だからこそ不可逆なのかもしれない。ゾウリムシとかから見たら可逆的なのかもしれない。

 ゾウリムシにロマンwを見出すと、観測者である「私たちが」、一回きりの時間を生きているということの証明となるかもしれません。

 人間は便宜上、基本的には等質性を持った時間の概念を用いて生活していて、それはそれで非常に便利なのですが、それにしばられてしまうのはもったいない。ここでやっと「相対性理論 E=mc^2」…の出番なのでしょうが、一般と特殊があるし物理の基礎を知らぬ文系の私にはとても難しそうでございます。しかも「光速より速いものはない」という前提があるので、時間が不可逆であることに変わりはない…。

 

"Don't think.FEEL!

It is like a finger pointing away to the moon."

byブルース・リー

"Don't consentrate on the finger,or you will miss all that heavenly glory."

 

 時計は便宜的な時間を示してくれますが「私たちの感じる時間」は、相対的なものではないでしょうか。私たちはひとりひとりが、自分の時間を持っているのではないでしょうか。それはもちろん資本主義社会における「オトナのジブンの時間」ではありません。 <意識を失い、後日覚醒した。すると、カレンダーの日付が飛んでいる!>という、私が昏迷状態のあいだ「私の時間はなかった、または止まっていた」とでも形容したくなるような、自分の時間のことです。(過労や外傷や酩酊で、数日に渡って深い眠りに陥った方もいることでしょう。それと似た体験かもしれません)この実感をもとに時間について述べると、

  • 「私」は時間と共にある(但し、時刻と時刻が隙間なく連なる時間の場合のみ)
  • 時間は、重力や速度の影響の強い場所(ブラックホールの近く、人工衛星等)に関わらずとも歪むことがある。夢、酩酊、何かに没頭している時間。これらの時間は流れ方が異なり、相対的なものである 

さらにいえば、こうした相対的な時間から「現実=(等質的に定義された時間)」に戻るためのツールが、目覚まし時計だったり、終電を気にして見る腕時計だったりするのかもしれない。

 

ではまたお会いしましょう