読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

「腑に落ちる」について

  小学校低学年の頃、私は脳科学に興味を持つ一方、身体のもたらす気分にも敏感だった。ふと何かを直観すると同時に、それを説明できるだけの知識がまだ己の中にないことも直観した。「腑に落ちる」まで「機が熟す」のをじっと待とう、などと思うことがあった。身体が未来を先取りするように感じられた。

  日本語はとても難しいが、便利にできている。「腑に落ちる」というと重力の存在を、「機が熟す」というと到来していない未来の時間まで想起せしめる。「解は出ているが、腑に落ちない」ときは、機の熟すのを待てば良い。立てておいた実験器具がいつか必ず倒れるように、解の落下する時も来るというものだ。

    直観はどこからか与えられるものだった。それらはテストの役に立つ。問を示されると、はじめに解が降りてくるので、説明を後から考えるのだった。直観した解が正解と一致することは便利だったが、合理性を欠くので不安にもなった。 

   謎の直観の根拠を探すには、図書館に行くと良かった。そこは時間制限付でインターネット検索が許され、過去になされた研究も書籍という形で置かれている。世の中には先人たちが遺した公理があるようだ。相対性理論が巷で流行っていたが、生活と何の関係があるかわからないので、どちらかといえばニュートン力学電磁気学のほうが魅惑的に映った。

 

  リンゴは落ちて、星は落ちない。どう考えても相当ぶっ飛んだ比較である。この発想が人類に万有引力の概念をもたらしたなら、恐ろしく芸術的だ。

   これも、ひとえにニュートンが地上で生活していたことの証である。なかなか終わらぬ裁判や出席者ゼロの講義や人生に疲れビールと焼き鳥が恋しくなった彼は、オープンしたばかりの居酒屋に立寄った。そこで少々酔っ払って焼き鳥を落としたり、生中ジョッキを倒しそうになってビールを通りすがりの店員にぶっかけたのである。

 焼鳥は飛ばない。ジョッキは倒れる。ビールもこぼれる。ニュートンは、ますます万有引力への確信を強めていった。*1

f:id:LeChatduSamedi:20160215122345j:plain

*1:ちなみに、ビールをぶっかけられた店員は、貧乏だが優秀なうら若き学生であった。今も昔も学生のアルバイトといえば居酒屋なのである。その学生は自然科学に傾倒し、実はニュートンのトンデモ加減に興味を持っていたのである。ビールのぶっかかった服を脱いで「サ、サインをください、コサイン、ラブサイン」などと慌てながら差し出したので、ニュートンも驚いて椅子から落ちたそうである。