前回までのお話
猫とニンゲンが『般ニャ心經』を読解中with a cup of hot-milk & boiled Han-nyah
前經の読み下し〜空即是色までを猫目線で解読。
- ニンゲンの般若湯酔いにより、Hip-hopノリで読むことに。「心」の扱いがdopeで難しい。
(前經付)
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。
色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。
ものすごくかいつまんで意訳すると
“菩薩さまが、浄土*1にわたるために修行をなさっていたとき、人間の感覚&認識する5要素(五蘊…色/受/想/行/識)がすべて「空」だと悟り、人間の一切の苦を救った*2。*3
観音様が弟子の舎利子に向けて述べたところは…
「舎利子よ、ものがあっても、それを感じられニャいなら、つまり『ニャい』に等しい。ものがニャいとしても、それを感じることができれば、それは『ある』といって差し支えニャい。かたちあるものでも、(それを感知できなければ)実はニャいと考えてもいい。ニャいと考えられるものも、実はあるかもしれない。色以外の4つの働きも以下同文。」
ここまでの節に関して
- 第1回で「猫には魚の赤身は赤には見えてニャい」 という例をあげました。
- 第2回では、猫でなくニンゲンの立場で、フリースタイルダンジョンを真似しながら解釈を進めました。
当、第3回は本文の続きを読み下していきます。
しゃりし ぜしょほうくうそう
舎利子。是諸法空想。
舎利子、この法則を世の中に適用すると、この世には「実体がない」ということに尽きる そのココロは
ふしょうふめつ
不生不滅
SEKAIにはOWARIもHAJIMARIもない
ふくふじょう
不垢不浄
穢れとか、清浄とかそういうのもない そう決めているだけだ
夏場に魚を腐らせてしまったとしよう まず、くさい
しかしそれは単に、微生物などに魚が分解されたときに発生しているニオイを、こっちが勝手に「くさい」と感じているだけだ。ハエにとってはきっといいニオイだ
ふぞうふげん
不増不減
世界にあるものは、総じて増えることも減ることもない エネルギー保存則みたいなことだ
動物の死体を放置しておけば、腐敗してウジが湧き、毛皮と骨以外ならあっという間に跡形もなく分解されることだろう
猫の場合も同様だ 荼毘に付されたら、ガスか何かで1000℃程度で数時間かけて焼く
燃えるゴミと燃えないゴミを一気に燃やすみたいなもんだ
内蔵などの水分や有機物を多く含むものは気化や酸化し排気され、植物や我々が吸い込む 無機物は灰やお骨として残り、金属製の人工関節などは融けて塊状に残るだろう
土葬の場合は、多くの生物(微生物や菌類含む)が呼吸や光合成や食事や排泄を通して一定量のエネルギーをあらゆる形に変える 食物連鎖のようなもんだ
このように、うまいこと世界はまわりつづけている
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色
そういうわけですから、この「実体のない世界」には、定まったかたちのものはない、と言ってもいいでしょう
むじゅそうぎょうしき
無受想行識
感覚も認識も意志もないということは、
むげんにびぜつしんい
無眼耳鼻舌身意
感覚器官から得た感覚も、実体のないものです
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法むげんかいないしむいしきかい
無眼界乃至無意識界
色も音も香りも味も肌触りも…見える世界も、意識する世界も
ない