猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

現代猫語訳 般ニャ心経 [玄奘三蔵訳]

玄奘三蔵版・新訳『般ニャ心経(前經入)』

 先日、うちの末端冷え性の二足歩行の棒が西のほうにいってきたそうで、なんでも、人間界にはハンニャシンギョウというありがたいものがあって調達してきたというので、早速読んでみたいと思います。

 ム…ニャンだこれは、新訳というには随分古いじゃないか…。

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前經

 この『般ニャ心経』は、約260字というとても少ない文字数で書かれています。とはいえその内容たるや、天台教典においては70巻、毘沙門教典では60巻、その他質量ともに膨大な教典の凝縮されたものです。先人たちの数々の悟りから選びに選び抜かれたエッセンスが、この260余字となっているのです。

 これだけでも驚きですが、『般ニャ心経』のすごさはそれだけじゃないんです!神様には宝、仏様には花、人には祈祷となるようなのです。これは万能!一家に一冊どうでしょうか!

 しかも、我々が神仏のご加護を得るには、声高らかに『ニャ心経』を唱えるだけで良いのです。そうすれば、梵天の神*1帝釈天の神から、四天王、日本中の神々、森羅万象、猫にはとてもわからニャいほど圧倒的パワーを持つものが、私たちに力を貸してくださいます。

 ぜひとも、我々猫々はこの経典を日々神々に読み捧げるのがつとめであります。

 

 

『摩訶般若波羅密多心經(偉大な最高の智慧)』訳:三蔵法師玄奘(唐出身、天竺より)

 

かんじざいぼさつ

観自在菩薩  

 観自在菩薩という求道者がおりました。その名の由来は「何でも自由自在に観ることができる」という、一般の猫にはかなり難しい境地を意味するようです。察するに、時間も空間も次元も猫も杓子も見えるのではないでしょうか。

 

ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう 

行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 

 そのお方が悟ったのは、静かに深く崇高な省察を行っていた時(我々が頭に乗っても気にされていないとき)で、まさに「この世にある全てのものは空(くう)、つまり、本質的でない」ということを直観したそうです。

 

どいっさいくやく 
度一切苦厄

「それなら、この世の苦しみも空だな」

 

しゃりし

舎利子 

「弟子たちよ…(遠い目)」

 

しきふいくう くうふいしき 

色不異空 空不異色

  形があるものは、それでいながら本質を持たない。目の前の木魚があるのかないのかっていうと、どっちかっていうとない。49対51で。説明が難しい…悟れ。ポクポクポク…

 

しきそくぜくう くうそくぜしき

色即是空 空即是色

  我々猫が「世界」だと思っているものは、虚像のようなものだ。哲学的に言い換えれば、突き詰めていけば存在に根拠などない。我々が観ているのはうつろいやすい…実体のない…現象だけだ。

 ここに出てくる「空即是色、色即是空」という文言では、「色」という現象を例にあげています。

 目の前に、輝かんばかりのマグロや鰹や鮭の切り身があるとしましょう。それが、夜になれば…照明を当ててやらねば最終的に見えなくなってしまう。色なんてあってないようなものだと。だから我々は魚をくすねることもできるわけなのですが…

 妙な話で、赤身の魚たちは…赤身というくらいだから人間には赤とかいう名前の…よくわからない色(クオリア)に見えているようなのです。

 私たちの眼のつくりは色の識別にはあまり優れていませんが、光を拾うことが得意なようで夜もよく見えますね。魚屋の蛍光灯はチカチカとはげしく明滅して見えますが、人間はアレがずっと光り続けているように見えるらしいのです…!

 こういった、考えたこともなかったことが一切のものに起きていて、我々一般の猫にはあらゆることのひとつの側面しか見えていないそうなのです。

 

続 

*1:伊達政宗の幼名梵天丸は梵天由来らしい