猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

何者かになりたいという病

先日、父方の祖母が他界した。サイゼリヤの…いや、ミケランジェロの描いたような空の日だった。最後の審判を受けていたのかも知れない。

新型コロナは関係ない。心臓の持病だった。体調不良を訴え、かかりつけを受診したその場で。AEDは既に役に立たなかった。

葬儀場には人数制限が設けられ、式はごくごく近親者でひっそりと行われたそうだ。地元を捨てた私は、手伝いはおろか顔を出すこともままならなかった。

 

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母方の尊属の葬儀は、行けるものはひと通り出席した。どれも絢爛豪華というか派手だった。参列者が千人を超えたとも、弔電の読み上げに何時間もかかったとも聞いている。幼い私の目には、見たことのない高級フルーツの盛籠やら大きな落雁やら色とりどりのお花がこれでもかと供えられた祭壇と、大好きなお寿司と、お坊さんの金ピカの袈裟が、それはそれはキラキラ輝いて映った。

 

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私が死んだときに誰が葬式に来てくれるというのだろう。「葬式に千人くらい来てもらえるまあまあの何者かにならねばならない」というプレッシャーや欲求は、こんなところからはじまっていてもおかしくない。何者にもなれないから尚更、死ねない。

まちがいさがしの

間違いの方に生まれてきたような気でいたけど、「間違い」なりに進んだ先では王道にいるようだった。

 

そこでは間違いなんて本当はなくて、正解は人の数だけあって、真理さえ時代によってうつろうと知った。

 

それでも、人のなかで生きるには正しくありたいと思ってしまうから、「正しくあれない」寂しさが、私とあなたを繋ぐのだろう。