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猫日記

ほら、だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

The Matrix

映画

 いわずもがな1999年アカデミー賞で視覚効果賞・編集賞・音響賞・音響編集賞を受賞した作品。この期におよんでTSUTAYAに足を運んだのは、自己紹介で「学生のころは哲学をかじっていて認識論について考えていて…」というと毎回「それはマトリックスみたいな話?」と尋ねられるようになったためだ。いまやマトリックスは古典なのだろう。

    確かに認識論は、現代でいうところの脳科学、心理学、認知科学人工知能に関連する研究とほぼ対象を同じくする領域であり自然科学に食われ気味といえる。そして、それらから多かれ少なかれ影響を受けていて(影響を与えているかどうかは「意識のハードプロブレム」以外は不明)、そろそろ他の学問に吸収されてなくなってしまうかもなどと考えたりもする。とはいえ、まさか「マトリックスから話をひろげられるようにしなければ…」という不純な動機でこの作品を観るとは想定していなかった。劇場で観たほうが音響をはじめ色々な効果を体感できたことを思うと、リアルタイムで観ればよかったかも。

 大筋は「人工知能が世界を支配している」すなわち人間の生活している場を「仮想現実」として描く伝統的古典的SF・アクション映画。ポストモダンを代表する思想家ボードリヤール著作から着想を得たものでもあるらしい。しかし小難しい話ではなく、カンフーや戦闘などのアクションシーンが断続的に挟まれており小気味良いテンポで物語が進むため、飽きずに楽しく最後まで観られた。キーパーソンは以下の3名だろう。

  • アンダーソン(ハンドルネーム:ネオ)/男性 イエスの使徒のひとりアンデレからか。復活の意?トリニティのキスで救世主として覚醒。
  • モーフィアス/男性 夢の神モルペウスのことか。ネオが救世主であると信じている。
  • トリニティ/女性 三位一体からか。ネオを愛している。

 個人的には、予言者オラクル(女性)をはじめ要所要所に女性が配置されているのが非常に興味深かった。女性性に関しては追々また考えていくことにするのでここでは触れない。

 先輩に攻殻機動隊卒業論文をしたためた猛者が存在したことを鑑みれば、マトリックスから私の研究していた認識論のさわりを紹介することだって可能だろう。「いま体験しているこの世界が仮想空間でない証明ができるか?」「現実とは何か?」「目の前のコップは本当にあるのか?」などとSFちっくな導入をすれば「真実を知りたかった」とかいう痛い発言も許されるに違いない。

 ただ、マトリックスで扱われている「真実」は「人間が機械に支配されて単なる動力源に成り下がっている」という夢のある(?)ものだ。それは能動的ニヒリズムを肯定する私の態度とはだいぶ様相が異なっているので、今後も色々と誤解を生む気はしている。

2017の抱負

今年は「エモい」とか言ってみたい。

去年は私の抑圧されたエモーションを揺り動かす奴らとたまにエンカウントする1年だった。

だから今年はエモい1年にしたい。

あんまり何も考えない。

ノーモアヒロシマ

旅行

 ほんらい修学旅行で行くべきヒロシマの惨憺たる世界遺産に、5月末初めて足を運んだ。それから間があいてしまったが、簡単なレポートをしようと思う。

 私は旅行目的というより純粋に「ヒロシマ」に行きたいとかねてより思っていた。その願いは大人になった今、比較的簡単に達成できた。しかもタイミングよく米大統領の訪問と入れ違いに。

 色々なことを感じたのはおぼえているけれど、如何せんショックが大きすぎて言葉にならない。今改めて撮り貯めた写真を見てもまだ打撃が先立ってしまって、伝えたいことがここに書けている自信がないし思ったことを言葉にできる気もしない。致し方ないので見た事を書くことにする。

 

 

 はじめに原爆ドーム。石碑には「この建物のほぼ直上で原爆が爆発した」旨記されていた。ドームの周囲をひとまわりしたところ、あの丸屋根の鉄骨が少々傾斜していることがわかった。

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   被爆前の「広島県物産陳列館」の写真に照らしたところ、どの方向から爆風が吹いたのか推測できた。

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 屋根の変形しているほうの建物の半分以上がいわゆる「ピカ」にごっそり持っていかれたのだろう。さらにここから半径2kmが一瞬で焼け野原になったわけだ。

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 一日目はこれでおしまい。

 

 

 「平和記念公園に一昨日オバマ大統領が足を運んだ」という事実を宿の朝刊が私に知らせる。主旨としては「原爆を投下された国が、原爆を投下した国の大統領を受容あるいは歓迎する風潮を批判」する内容が記されていたと思う。ある新聞では学者センセーが「日本国民はもっと怒りを顕にするべき」という主旨の意見を述べていた。

 

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 それにしても、午前8時15分である。爆心地から1640m地点でも「火傷」のため人が亡くなったそうだ。トタンはまるで紙くずのようにくしゃくしゃである。どこからか飛散した硝子の破片が鉄柱に突き刺さっている……物凄い圧力だ。

 爆風圧の被害に関して示されていたグラフに照らすと、爆心地から3km離れてやっと建物が部分損壊にとどまる程度だ。爆風圧には正圧と負圧がある。爆風が外に広がれば広がるほど爆発点付近の圧力が相対的に下がる。すると逆側への風の吹き込みが起きてしまう。

 建物はおおむね横方向に二度にわたってダメージをくらう。高温の風と圧力、台風の比ではない。圧力鍋の中につっこまれたような感じか、それどころの騒ぎではないだろう。高温高圧で変形した瓦を見て私は地質学を思い出した。

 

 *

 

 私は戦争を知らない。『はだしのゲン』は読んだ。「ピカドン」「きのこ雲」の記憶は未だに強く残っている。一方で私は「核」について何か述べようとは思えない。原子は元々自然界に存在するものであり、その力を応用したのがいわゆる原爆だ。放射線は人間や生物に有害だが、地球含む宇宙にとっては当然存在するものなのである。

 宇宙にとって人間の存在は取るに足らないものだ。それに、我々の存在に特に意味はない(と私は考えている)。我々は、勝手に戦争をはじめて勝手に人口を減らしたり増やしたりしている。それらの事象に対して私は何のコメントもない。

 

 私たちは怒るべきなのか?


 怒りを顕にして解決することは何だろうか。過ぎてしまったことはもう元には戻せない。曖昧な日本人には「持続的な怒り」は似合わないように、私には思えた。我々日本人は混沌を呑み込むのが得意な民族ではなかったか。

 それから、怒りを向けるべきは現大統領なのだろうか。確かに大統領は国を背負っている。それでいてなお、一人の人間である。米国の「現」大統領がひとり責任を負って何か変わるのか。

 WWⅡないし原爆に対して、いまの日本の社会において「受容」「諦念」というムードが蔓延しているとしたら、我々がまるで集団的に「過去のことはあくまでも過去のもの」と捉えているようにも見える。

   実際に多くの死傷者を出した「戦争」が、かつてあったという事実は脳に刻みつけておくべきだと思う。

 だが、歴史の教科書を開いてみよう。戦争のない時代なんて、ほとんどないではないか。何だかんだ言って、好き好んで戦っているのは誰だった?戦いというのは、誰かにメリットがあるからやっているのではないか?

 

* 

 

 私たちは今を生きており、人間として今をより良く生きるにはどうするかを考えたほうがまだ救いがあるだろう。

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