猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

AI、コミュ力高い。※画像多め

 A Iアバター*1を作ってみた。

 きっかけは、或る方がわたしのことを「怪物くん*2のよう」と形容したからである。会う度に別人と勘違いするほど顔が異なるという。

 たとえば能面は、面じたいは動かずともその左右非対称性と陰影を巧みに用いて、自在に表情を表現できるそうだ。わたしたちが顔と認識するものが実は顔の造形ではなく表情の微積分だとしたら、顔も流動的なものとして扱うのが自然だろう。誰もが怪物くんと呼ばれても不思議はない。

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 さておき、”怪物くんのような顔”はどのようなA Iアバターになるだろう?

 結果、人種もさまざま複数名(グループ)の顔に分かれた。無責任な他者の言動も案外的を射ているものである。

(ⅰ)コーカソイドアバター

(ⅱ)アジア系ミックス?アバター

(ⅲ)最も日本人らしさを感じるアバター


 美化してもらえて嬉しい反面、果たしてどれが最も自分のイメージに近いアバターかわからず困惑したのも本音である。

 せめて何か共通点はないものか?--生成した全てのアバターを遠目で見たところ、強いて言えば最も類似している箇所は目眉の距離/輪郭(&配置)・鼻のフォルムであり、最もばらつきの多い箇所は目の形と色であった。

 わたしの個性もとい特徴的な部分がデフォルメされた結果、“潰れまんじゅうのような輪郭”に“距離の近い眉目”“鼻筋がやや目立つ”顔が生成されたようである。一瞬ハート型土偶が頭を掠めたが、最大限に抽象化させると「私=逆三角形」と言えよう(泣くわこんなん)。

ハート形土偶

 印象的だったのは10名程度の芸能人を想起させる”出来の良い”アバターが生成されたことで、学習データ(機械学習の際に用いられるデータセット)に芸能人の写真が相当数含まれるのではないか、あるいは「盛る」ためにどこかの部分を有名芸能人に寄せるようプログラムされているのではないかと予想した。

白石麻衣さん(左)と似たアバター

峰岸みなみさん(左)と似たアバター

堀北真希さん(左)と似たアバター

 ちなみに、芸能人がSNSに掲載しているアバターは、選別されているとはいえ相当本人に似ており、鑑賞側としてあまり違和感をおぼえない。それだけ万人の記憶に残りやすい特徴的な顔立ちということだろう。

 残念ながら能面や芸能人の写真をアバター化させ比較検討する余裕がないので、怪物ともいえるわたしの数十葉の生成画像から、現時点でのAIアバターとその限界について自分なりの想像を膨らませてみようと思う。

1. 顔のパーツまたは配置に際立った特徴がないと似顔絵を生成しづらい(当然か)

 

2. 総合的には特徴のない顔立ちでありつつ、部分的に観察すると多様な特徴を備えている(直線的、曲線的、大人顔、子供顔などの特徴をモザイク状に網羅的に含んでいる)と、要素分解され各々の特徴を独立としてデフォルメした顔が一つずつ生成される(→複数人の顔に分かれてしまう)

 

3. 特定の人種に顕著、典型的な特徴を複合的に持つ顔だと、似顔絵を生成した際に各特徴をデフォルメした顔が一人ずつ生成される(→複数の人種に分かれてしまう)

3'. 倫理面を考慮し複数の人種で生成させるようにプログラムされている?

 

4. 写真(平面)から計算し再構成した立体感と、実物が案外異なる

横顔生成の差異

5. 顔は、僅かな違いが大きな印象の差をうむものなので4でいろいろ困ったことが起きている

再構成の失敗とみられる生成画像

 

 「相貌失認」といい、脳にダメージを受けた際に個人や表情の識別が困難になってしまう病気があるそうだ。人の脳には「顔領域」といって顔を認識する分野がわざわざ備わっているのは興味深い。人類はコミュニケーションをとることで進化を遂げた側面が少なくない訳だから、顔の誤差レベルのごく僅かな差にも気づくよう脳が進化してしまったのかも知れない。

 顔のどの部位に注意を払うかは、人種によってかなり異なるだろう。瞳の色がほぼ一定のモンゴロイドは、瞳の色で人を識別する必要が少ない代わりに一重まぶたか二重まぶたに着目し人を判別するだろうし、ほぼ全員二重まぶたのコーカソイドは瞳の色に着目することだろう。どんな顔が好まれるのかは文化の影響も大きい。

 したがって、「その人物のその人らしさを顔で表現しうる要素は何か」「それを誰に見せるのか」によって、デフォルメすべき部分は異なる。そのあたりの匙加減はほんらい似顔絵画家、作家さんの仕事であり高度な非言語コミュニケーションでもあるだろう。この点、AIアバターは微妙に異なる数十種類の結果を提示することで、どれか一枚でも購入者の琴線に触れるものがあれば(あるいは触れなくても再チャレンジという形で注文が入れば)良いという形で解決している。

 心理学でいうところのゲシュタルト知覚の問題も関わってくると思うが、AIアバターは個別具体をいかに良い塩梅に捨象して再構成させるか(=「盛る」、「美化」)を問われているように思われる。

 そして「不特定多数の利用者に対して/空気を読んで/良い感じに盛る」という文化において、人間から多数の支持を獲得するほどにAIは進化しているらしい。AI、コミュ力高い。*3驚異、脅威。

 

*1:SNOW,AI Picassoを用いた

*2:藤子A不二雄『怪物くん』の百面相能力のことらしい

*3:空気を読まれすぎて、結局自分の顔がよくわからないままだ。人間社会っぽいな

WETな備忘録(虎の件)

 そういえば、喪中だが波風を立てぬため数葉、年賀状を出したのだった。例年消しゴムをハンコにして干支を彫ることにしており、今年は虎である。教科書とテスト問題の読みすぎだろうが、虎といえば山月記である。

人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。

中島敦山月記

  性情からすれば、わたしに虎はいない。しかしこうして全く商業ベースにのらないブログを更新してしまう様子に鑑みると、猛獣を飼っていないわけではなく、おそらく大型の長毛種の猫あたりがいるに違いない。奴はわたしの命が尽きるその日まで、ディスプレイの前で毛づくろいをしたりキーボードの上で伸びをしたりと、無邪気に人生の邪魔をするだろう。

理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ

 虎の発言ではあるが、これこそが、不条理な運命と自分の望む姿との乖離を強く意識している「人間」の言葉である。

 

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 「ぱっと見の性格が良くないと損をする」と、岡田斗司夫氏が講演で述べていたように記憶している。

袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。(中略)しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか、と。

    現代文のテスト問3あたりで「李徴の作品には何が欠けていたのか」と問われたら、賢い読者の皆さまは「人間性」などといった模範回答をするかも知れない。人間性が何なのか義務教育で教えてもらいたかった。内心の自由憲法で保障されているらしい。「感じの良い振る舞い」と、人間性は別物ではないのか。

  

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 「酒の場では、ひとの悪いところが出がちなものですね」と、行きつけのバーのマスターが仰った。

    問3に対し、わたしは「パッと見の性格」「多数派の人間が抱く感覚への配慮」「発達障害やパーソナリティ障害に関する知識」「Z世代へのマーケティング」などと回答したがために、世間様より大きなバツをくらった気がした。

    定型発達の人々が求める「人間性」と、己の求めるそれはひどく異なるらしい。指摘されることは大抵似通っている――「口を開くな」という類。語彙力を増やすべく新明解国語辞典を購入しようと思っていただけに、頭を抱えている。

    不条理なことに猫を抱えたままの不器用な私は、残念ながらもうリアル世界では人と関わることを控えるしかないのかも知れない。この文章さえも誰かを傷つけるだろうか。「一般的な」人の感覚から生まれつき分断されたまま、矯正する機会も猶予も与えられず、わたしは猫とともに世間から排斥されていくのだろうか。

 

    なお、せめてもの迎合として年賀状の虎にはティガーを採用させていただいた。(――迎合以外のトゲのない言葉が思い浮かばないので、やはり国語辞典あるいは類語辞典を購入すべきだろう)