猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

初めての直腸指診

 2度連続で下血し、3度目の正直を期待したがやはり下血したため、万が一の可能性に鑑みて総合病院の胃腸外科を受診した。

 確認した限り鮮血だったので一応想定してはいたものの、男性医師の口から改めて「直腸指診」が必要と告げられると、若干へこむ。なお、直腸指診とは簡単に言えばベッドに横たわり、医師が肛門から指を差し入れて異常の有無を確かめる検査のことである。
 
 肛門から直腸を診察するということは、とりもなおさず下半身が丸見えになるということであり、なかなかに原始的な修行だったのでここに記録しておきたい。
 
式次第
  1. 看護師より「靴を脱いで、壁のほうを向いてベッドに横たわってください」と告げられ、そのままカーテンを閉められる。
  2. 医師より「ズボンと下着を足首まで下げて、足を前に抱えて」と指示される。(すなわち、横たわった状態で深く体育座りをし、医師に向けて尻を突き出す格好をとれ、ということである。幼稚園生の頃、体育座りするタイミングで友達に「カンチョー!」された光景が脳裏をかすめた。)
  3. カーテンがシャッと開く。露出度最強である。
  4. 私はそこでおそらく、生まれてはじめて肛門に指を差し込まれた。むかし座薬を処方されたことならあった。しかし、診察室で、看護師の立ちあいのもと、異性の医師の指を肛門に差し込まれるのは、人生初である。
  5. 肛門に差し込まれたのは指だけではなかった。肛門は、次に何か冷たいものを呑み込んだ。それが何だったのかは想像するしかないが、いわゆる肛門鏡であったと思われる。
医師「家に…ウォシュレットか何かついてる…?」
私 「はい、ついてます」
 
 薬漬けになった私の頭に、ぼんやり記憶が蘇ってきた。ある晩、何となく腹部の不快感を感じて目が覚め、トイレに入った。
 そのときだったのだ、知らぬ間に自宅のウォシュレットの強さがMAXになっていたのは。
 ウォシュレットダメージからの直腸指診。これは新手の自傷行為なのだろうか。
 今も女は1日2回、軟膏のノズルを肛門に突っ込んでいる。そして段々とその行為に慣れていくのであった……
 
 浣

現代猫語訳 般ニャ心経 [玄奘三蔵訳]

玄奘三蔵版・新訳『般ニャ心経(前經入)』

 先日、うちの末端冷え性の二足歩行の棒が西のほうにいってきたそうで、なんでも、人間界にはハンニャシンギョウというありがたいものがあって調達してきたというので、早速読んでみたいと思います。

 ム…ニャンだこれは、新訳というには随分古いじゃないか…。

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前經

 この『般ニャ心経』は、約260字というとても少ない文字数で書かれています。とはいえその内容たるや、天台教典においては70巻、毘沙門教典では60巻、その他質量ともに膨大な教典の凝縮されたものです。先人たちの数々の悟りから選びに選び抜かれたエッセンスが、この260余字となっているのです。

 これだけでも驚きですが、『般ニャ心経』のすごさはそれだけじゃないんです!神様には宝、仏様には花、人には祈祷となるようなのです。これは万能!一家に一冊どうでしょうか!

 しかも、我々が神仏のご加護を得るには、声高らかに『ニャ心経』を唱えるだけで良いのです。そうすれば、梵天の神*1帝釈天の神から、四天王、日本中の神々、森羅万象、猫にはとてもわからニャいほど圧倒的パワーを持つものが、私たちに力を貸してくださいます。

 ぜひとも、我々猫々はこの経典を日々神々に読み捧げるのがつとめであります。

 

 

『摩訶般若波羅密多心經(偉大な最高の智慧)』訳:三蔵法師玄奘(唐出身、天竺より)

 

かんじざいぼさつ

観自在菩薩  

 観自在菩薩という求道者がおりました。その名の由来は「何でも自由自在に観ることができる」という、一般の猫にはかなり難しい境地を意味するようです。察するに、時間も空間も次元も猫も杓子も見えるのではないでしょうか。

 

ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう 

行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 

 そのお方が悟ったのは、静かに深く崇高な省察を行っていた時(我々が頭に乗っても気にされていないとき)で、まさに「この世にある全てのものは空(くう)、つまり、本質的でない」ということを直観したそうです。

 

どいっさいくやく 
度一切苦厄

「それなら、この世の苦しみも空だな」

 

しゃりし

舎利子 

「弟子たちよ…(遠い目)」

 

しきふいくう くうふいしき 

色不異空 空不異色

  形があるものは、それでいながら本質を持たない。目の前の木魚があるのかないのかっていうと、どっちかっていうとない。49対51で。説明が難しい…悟れ。ポクポクポク…

 

しきそくぜくう くうそくぜしき

色即是空 空即是色

  我々猫が「世界」だと思っているものは、虚像のようなものだ。哲学的に言い換えれば、突き詰めていけば存在に根拠などない。我々が観ているのはうつろいやすい…実体のない…現象だけだ。

 ここに出てくる「空即是色、色即是空」という文言では、「色」という現象を例にあげています。

 目の前に、輝かんばかりのマグロや鰹や鮭の切り身があるとしましょう。それが、夜になれば…照明を当ててやらねば最終的に見えなくなってしまう。色なんてあってないようなものだと。だから我々は魚をくすねることもできるわけなのですが…

 妙な話で、赤身の魚たちは…赤身というくらいだから人間には赤とかいう名前の…よくわからない色(クオリア)に見えているようなのです。

 私たちの眼のつくりは色の識別にはあまり優れていませんが、光を拾うことが得意なようで夜もよく見えますね。魚屋の蛍光灯はチカチカとはげしく明滅して見えますが、人間はアレがずっと光り続けているように見えるらしいのです…!

 こういった、考えたこともなかったことが一切のものに起きていて、我々一般の猫にはあらゆることのひとつの側面しか見えていないそうなのです。

 

続 

*1:伊達政宗の幼名梵天丸は梵天由来らしい