※注意:読み進めるほど酸鼻で興ざめな解釈なので、竹取物語を大切に思う方はお読みにならないでください。
今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、萬の事につかひけり。……その竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中ひかりたり。……翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る、竹の中におはするにて知りぬ、子になり給ふべき人なンめり。」とて、手にうち入れて家にもてきぬ。妻の嫗にあづけて養はす。……この兒養ふほどに、すく〳〵と大になりまさる。
昔々、あるところに男女が暮らしていました。彼らの家にほど近い林で拾われた私は、それを知らぬまま野山や川を遊び場にして育ち、大学進学のため東の都へ行くことになりました。その大学は、資本主義から一定の距離を保つ、悪い意味でアカデミックなところでしたので、事情を知らぬ人には裕福な子女と勘違いされました。大学で実学を身につけぬまま社会に出ても働き口がないだろう、というわけです。
男(をのこ)、貴なるも賤しきも、「いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがな。」と、音に聞きめでて惑ふ。
性差別的扱いは社会に出てからより顕著に感じられ、それは仕事上の女性の役割分担によるものでした。少々働き年頃にもなれば日本の慣習としてまだまだ「身を固めようという誘い」を受ける一定の時期が女性には残っていることがわかりました(受動的、という意味で)。ここで、一般常識とされる「男女双方の武器と弱さ」が認識できていないと、非常に生きづらい期間を送ることになります。
「翁年七十に餘りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす。女は男に合ふことをす。その後なん門も廣くなり侍る。いかでかさる事なくてはおはしまさん。」かぐや姫のいはく、「なでふさることかしはべらん。」といへば、「變化の人といふとも、女の身もち給へり。翁のあらん限は、かうてもいますかりなんかし。この人々の年月を經て、かうのみいましつつ、宣ふことを思ひ定めて、一人々々にあひ奉り給ひね。」といへば、かぐや姫いはく、「よくもあらぬ容を、深き心も知らで、『あだ心つきなば、後悔しきこともあるべきを。』と思ふばかりなり。
ある天人…御衣(みぞ)をとり出でてきせんとす。その時にかぐや姫「しばし待て。」といひて、「衣着つる人は心ことになるなり。物一言いひおくべき事あり。」といひて文かく。天人「おそし。」と心もとながり給ふ。
ここで売買されているものは一般的な、そして客の「好みに近い」女性像であり、「背が○○センチの」「バストが○カップの」「顔立ちが○○似の」など、いくつかに分類され、イメージされ、実際に消費され換金される「女」です。資本主義の支配下で「性的欲求の捌け口」というサービス業に彼女たちは立派に従事し稼ぎます。
恐らくそこは、一定レベルの条件をクリアすれば、個別性はそこまで問われない世界でしょう。すなわち「一定の若さと健康的な美しさを求められる世界」であり、新人の入る都度、ダイレクトに種の保存則に脅かされて生きねばならないことが、その業界で働く女性の課題のように思われます。
かぐや姫「物知らぬことなの給ひそ。」とて、いみじく靜かにおほやけに御文奉り給ふ。あわてぬさまなり。「かく數多の人をたまひて留めさせ給へど、許さぬ迎まうできて、とり率て罷りぬれば、口をしく悲しきこと、宮仕つかう奉らずなりぬるも、かくわづらはしき身にて侍れば、心得ずおぼしめしつらめども、心強く承らずなりにしこと、なめげなるものに思し召し止められぬるなん、心にとまり侍りぬる。」とて、
今はとて天のはごろもきるをりぞ君をあはれとおもひいでぬる
とて、壺の藥そへて、頭中將を呼び寄せて奉らす。中將に天人とりて傳ふ。中將とりつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし悲しと思しつる事も失せぬ。この衣着つる人は物思もなくなりにければ、車に乘りて百人許天人具して昇りぬ。
アルテミスのような処女神を、私はかぐや姫に重ねました。しかもそのアルテミスは女として成長しきれず、死を選択するほかなかった。源氏物語において自分を犠牲にした浮舟のような人格かも知れません。同時に、「現代を生きる女」の人生の選択肢の広がりと家父長制の名残という現実、またそれらに適応できず「哲学的死」の瀬戸際に追いやられた女、を見てとりました。
ただ、フェミニズム的解釈……「つい最近まで、どうやら女性の意見は抑圧されてきたらしい」という背景は、別問題として捉えるべきかと思います。
あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ
かの奉る不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。……御文・不死の藥の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士どもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふしの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。