猫日記

だから猫に文章を描かせるとこうなるんだ

ノーモアヒロシマ

 ほんらい修学旅行で行くべきヒロシマの惨憺たる世界遺産に、5月末初めて足を運びました。それから間があいてしまいましたが、簡単にレポートをしたためたいと思います。

 私はかねてより、旅行目的というよりは純粋に「ヒロシマ」へ行きたいと思っていました。その願いは大人になったいま比較的簡単に達成できました。しかもタイミングよく、米大統領の訪問と入れ違いに。色々なことを感じたのはおぼえているけれど、いかんせんショックが大きすぎて言葉になりません。今改めて撮り貯めた写真を見てもまだ打撃が先立ってしまって、伝えたいことがここに書けている自信がないし、思ったことを言葉にできる気もしません。しかたがないので見た事を書きます。

 はじめに原爆ドーム。石碑には「この建物のほぼ直上で原爆が爆発した」旨が記されていました。ドームの周囲をひとまわりしたところ、あの丸屋根の鉄骨が少々傾斜していることがわかりました。

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   被爆前の「広島県物産陳列館」の写真に照らせば、どの方向から爆風が吹いたのか推測できます。

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 屋根の変形しているほうの建物の半分以上がいわゆる「ピカ」にごっそり持っていかれたのでしょう。さらにここから半径2kmが一瞬で焼け野原になったわけです。

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 一日目はこれでおしまい。

 「平和記念公園に一昨日オバマ大統領が足を運んだ」という事実を、宿の朝刊が私に知らせます。主旨としては「原爆を投下された国が、原爆を投下した国の大統領を受容あるいは歓迎する風潮を批判」する内容が記されていたと思います。ある新聞では学者先生が「日本国民はもっと怒りを顕にするべき」という主旨の意見を述べていました。

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 それにしても、午前8時15分です。爆心地から1640m地点でも「火傷」のため人が亡くなったそうです。残されたトタンは、まるで紙くずのようにくしゃくしゃでした。どこからか飛散した硝子の破片が鉄柱に突き刺さっている……物凄い圧力を感じます。

 爆風圧の被害に関しては、示されていたグラフに照らすと爆心地から3km離れてやっと建物が部分損壊にとどまる程度です。爆風圧には、正圧と負圧があります。爆風が外に広がれば広がるほど、爆発点付近の圧力が相対的に下がるので、逆側への風の吹き込みが起きてしまうのです。建物はおおむね横方向に二度にわたってダメージを負います。高温の風と圧力、台風の比ではありません。圧力鍋の中につっこまれたような感じか、やはりそれどころの騒ぎではないかもしれません。高温高圧で変形した瓦を見て、私は地質学を思い出しました。

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 私は戦争を知りません。『はだしのゲン』は読みました。「ピカドン」「きのこ雲」の記憶は未だに強く残っています。

 だからといって、私は「核」について何か述べようとは思えないのが本当のところです。原子は元々自然界に存在するもので、その力を応用したのがいわゆる原爆です。放射線は人間や生物に有害ですが、地球含む宇宙にとっては当然存在するものです。宇宙にとって人間の存在は取るに足らないものです。それに、我々の存在に特に意味はありません(…と私は考えています)。我々は、勝手に戦争をはじめて勝手に人口を減らしたり増やしたりしているのです。それらの事象に対して、私は何のコメントもありません。

 私たちは怒るべきでしょうか—―怒りを顕にして解決することはあるでしょうか。過ぎてしまったことはもう元には戻せません。

 また、怒りを向けるべきは現大統領なのでしょうか。確かに大統領は国を背負う者です。それでいながら、一人の人間でもあります。米国の「現」大統領がひとり責任を負って何か変わるでしょうか。WWⅡないし原爆に対して、いまの日本の社会において「受容」「諦念」というムードが蔓延しているとしたら、我々がまるで集団的に「過去のことはあくまでも過去のもの」と捉えているようにも見えます。曖昧な日本人には「持続的な怒り」は似合わないように私には思えます。我々日本人は混沌を呑み込むのが得意な民族ではなかったでしょうか。

   実際に多くの死傷者を出した「戦争」が、かつてあったという事実は脳に刻みつけておくべきだと思います。けれども、歴史の教科書を開いてみれば、戦争のない時代なんて、ほとんどないのです。何だかんだ言って好き好んで戦っているのは誰でしょうか。戦いというのは誰かにメリットがあるからやっているのではないでしょうか。

 

 私たちは今を生きており、人間として今をより良く生きるにはどうするかを考えたほうがまだ救いがありましょう。

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